素人がそれっぽく語る、昨日のプロ野球。

野球経験はゼロさ。許しておくれよ。

祝・2000本安打!パワプロのステータスで福留選手の歴史を振り返る。

 

こんばんは、グラブです。ドラゴンズファンです。

福留孝介選手が、史上6人目の日米通算2000本安打を記録しました。

 

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1998年、ドラフト1位指名で中日ドラゴンズに入団。当時のポジションは遊撃手でした。入団当初からレギュラーで活躍し、勝負強いバッティングと高い守備力でチームを支えてきた福留選手。メジャーリーグに挑戦し、帰国して阪神タイガースに入団してからも、常にクリーンナップを務める主力選手として活躍し続けています。

 

今日はそんな福留選手の活躍を、パワプロのステータスと共に振り返ってみたいと思います。ステータス画面のキャプチャについてはこちらのサイトから頂きました。パワプロのデータが詰まった物凄いサイトです。

 

 

▼1999年決定版 / 1年目成績

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社会人(日本生命)から中日ドラゴンズにドラフト1位で入団した福留選手。当時の星野仙一監督が積極的に起用し、新人ながらレギュラーに定着。「打率.284 / 本塁打.16本」の好記録でチームのリーグ優勝に貢献する活躍を見せました。

しかし、121三振はリーグ最多。他にも守備面での課題が目立ち、特に得点絡みのシーンでのエラーが多かったため、2000年決定版では「タイムリーエラー」が特殊能力に追加されてしまいました。

 

▼2001年決定版 / スランプ期

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打率.251 / 出塁率.352 / 本塁打.15 / OPS.792という記録は決して悪いとは言い切れませんが、福留選手にとって2001年は中日ドラゴンズ時代ワーストの記録です。

勝負強いバッティングは健在ですが、この年も90三振を記録。今でこそ選球眼の良い選手というイメージですが、中日ドラゴンズ時代は年間平均98個と非常に三振の多い選手でした。また、2000年・2001年はエラーが目立った福留選手。「プロ野球珍プレー・好プレー」ではそのエラーの様子が多く取り上げられました。

 

パワプロ9決定版(2002年) / 全盛期①

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首位打者に輝き、シーズン安打数で球団新記録を叩き出した2002年。山田久志監督(当時)のもとで外野手への本格コンバートに成功し、エラーも激減しました。強肩と俊足が武器の福留選手は右翼手に定着。ライトゴロでランナーを仕留めることもありました。この時代に「レーザービーム」の特殊能力があれば、おそらく付いていたのではないでしょうか。

この頃からバッティングが飛躍的に成長し、翌年2003年には34本塁打も記録。攻守に渡って活躍する、チームに欠かせない存在となりました。

 

パワプロ13決定版(2006年) / 全盛期②

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首位打者(.351)・最高出塁率(.430)・103打点と大活躍、二塁打セ・リーグシーズン記録の更新など、チームを代表する存在となった2006年。WBCでも、日本代表として活躍しました。福留選手のステータスもこの年が最も良い数字になっています。

守備面の課題は完全に克服…というより、球界を代表する外野手に成長。この年にゴールデングラブ賞を受賞していますが、これは3回目の受賞。守備面においても絶対的な信頼を置ける選手でした。

また、2006年には通算1000安打を記録しています。

 

パワプロ2013 / 帰国1年目

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2012年9月にマイナー契約を結んだニューヨーク・ヤンキースを解雇され、日本球界に戻ることを決断した福留選手。「打率3割以上 ・出塁率4割以上」と宣言して挑んだシーズンでしたが、故障に苦しみ出場は僅かに63試合。打率.198・出塁率.295と、悔しい成績となってしまいました。

しかし、打率が2割を切ったからと言ってミートG判定は厳しすぎるのでは?

 

パワプロ2016 / 今シーズン序盤査定

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怪我から復帰した2014年・2015年は、本来の力を取り戻します。2015年には、打率・本塁打・打点でチーム内最高の数値を記録。阪神タイガース日本シリーズ出場にも大きく貢献しました。

そして、2016年6月25日に日米通算2000本安打を記録。現在もチーム内最高打率・最高出塁率でチームを牽引し、第一線で活躍しています。「もう個人的な数字というのを追っかけることはないと思いますし、あとはチームが勝つということ。それが僕の中で一番の目標ですね」と福留選手は語ります。

 

 

 

全盛期でもスランプ期でも、常に所属チームの第一線で活躍し続けてきた福留選手。39歳の今でも常にレギュラーを務め、打線の主軸として活躍できるということは並大抵のことではありません。

 

福留選手のこれまでを振り返る中で、改めて2000本安打を記録する選手の偉大さを感じました。

福留選手、おめでとうございます!